• イタリア パルマ公国 1815 5リレ銀貨 マリー・ルイーズ
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 19世紀初頭のイタリア北部に存在した小国、パルマ公国で発行された5リレ銀貨。当時パルマの女公となったばかりのマリー・ルイーズ (在位:1814年~1847年)の横顔肖像が打ち出されています。

 マリー・ルイーズは神聖ローマ皇帝フランツの娘として生まれ、オーストリアの首都ウィーンの宮廷で育ちました。ハプスブルク家の王女として多くの兄弟・姉妹に囲まれたマリー・ルイーズは、後のオーストリア皇帝フェルディナント1世や、ブラジル帝国皇后レオポルディーネの姉であり、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の伯母にあたります。

彼女の名を最も有名にしたのは、フランスのナポレオンの二番目の妃になったことでした。ナポレオンとの間には一人息子(ローマ王)が生まれましたが、ナポレオンの失脚後は離婚し、息子と共にオーストリアへ戻りました。このコインは、ナポレオンが配流先のエルバ島から脱出して政権奪還を図った「百日天下」の年に発行されました。ナポレオンはマリー・ルイーズと息子を呼び寄せようとしましたが、彼女がそれに応じることはありませんでした。
 このコインは、ナポレオンが対仏連合軍と対峙したワーテルローでの会戦敗北を経て、再び失脚した後に発行されました。

 マリー・ルイーズがナポレオンの皇妃だったことは広く知られていますが、ナポレオンと離婚した後の人生はあまり知られていません。

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              パルマ女公 マリー・ルイーズ (1791年~1847年)

 1814年、マリー・ルイーズは父フランツ1世のはからいにより、イタリアの小国パルマの君主に封ぜられました。
この措置はヨーロッパの戦後処理を決めるウィーン会議でも正式決定されましたが、ナポレオンとの息子はウィーンに残し、彼女だけが現地に赴くことが条件でした。

 「パルマ女公」となったマリー・ルイーズは単なる名誉称号に甘んずることなく、現地で生活して積極的に政治に関与しました。責任感の強い彼女は、領民による革命騒ぎが起こった際、宮殿に乱入した暴徒にも自ら直接対応し、毅然とした態度を示したと云われています。

 彼女はオーストリアから派遣された、外国人の君主であるにも関わらず、パルマのイタリア人領民達からも慕われ、善政を行った名君として尊敬されました。ウィーンとパリの宮廷で生活したマリー・ルイーズもパルマでの落ち着いた生活を気に入り、現地で臣下と二度結婚して合せて5人の子を出産しています。後にイタリアを代表する音楽家となるヴェルディは、パルマの貧しい農村の出身でしたが、マリー・ルイーズによる奨学金支援によってミラノへ留学し、後の道を切り開いたとされます。


 パルマの君主として家臣と二度結婚し、5人の子を出産したマリー・ルイーズは、異郷での第二の人生を開華させた女性でした。彼女の気品溢れる肖像を刻んだ銀貨は、イタリアの小国で発行されたものであるにも関わらず、大型かつ美しい仕上がりです。


 

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