南ネーデルラントは北部が1581年にネーデルラント連邦共和国(*現在のオランダ)として独立した後もスペイン領として残された地域であり、現在のベルギー及びルクセンブルクに相当します。1714年以降はオーストリア領となり、ハプスブルク家によって統治されましたが、フランス革命戦争によってナポレオンに占領され、1797年にフランス領として割譲されました。
神聖ローマ皇帝フランツ2世はナポレオンがフランス皇帝を称したのに対抗して、1804年から「オーストリア皇帝」を称しました。1806年にナポレオンの支援によってドイツ諸領邦が参加するライン連邦が成立すると神聖ローマ帝国は解体され、オーストリア帝国の初代皇帝フランツ1世として新たな権威を保持しました。
フランスと戦って敗れた後は娘のマリー・ルイーズをナポレオンに嫁がせ、一時的な同盟関係を結びましたが、後に対仏大同盟軍に加わってナポレオンを失脚させました。1814年には外相メッテルニヒの指導下で戦後処理を調整するウィーン会議が開かれ、ヨーロッパの新秩序確立とオーストリアの地位向上に努めました。
皇帝フランツ1世 (1827年, フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー作)
内政・外交ではナポレオン時代の反動から保守的な姿勢を固辞しましたが、小市民的な慎ましい生活を好んだため、ウィーン市民からは「善良なフランツ皇帝」と称され崇敬されました。穏やかな市民社会が発展したビーダーマイヤー時代を象徴する皇帝とされましたが、検閲の強化により出版や演劇の内容も規制され、自由主義的な政治活動は抑圧されました。