• ユーゴスラビア王国 1938 20ディナーラ銀貨 ペータル2世
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  • 価格:3,300円(税込)

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 第一次世界大戦後に成立したユーゴスラビア王国は「南スラヴの王国」の名の通り、バルカン半島に住むセルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人、モンテネグロ人などスラヴ系の民族を多く包括した国家でした。しかし王家をはじめとするセルビア人主体の政府への反発は根強く、1930年代以降は民族間対立が激しさを増していました。

 ユーゴスラビアは建国当初「セルブ・クロアート・スロヴェーン王国(=セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国)」と称していましたが、1929年に国王アレクサンダル1世によって「ユーゴスラビア王国 (=南スラブ王国)」と改称されました。コインの銘文もそれに伴い、1930年以降に発行されたものは国号が変更されています。
 しかし国内の民族問題は依然として燻り続け、アレクサンダル1世は1934年にフランスを訪問中、クロアチア人の民族主義者によって暗殺されました。

 その後を継いだのが、アレクサンダル1世の長男ペータルです。ペータル2世(在位:1934年~1945年)として即位した少年王の治世下で発行されたコインには、若々しい王の横顔肖像が打ち出されています。裏面には、正教を信奉するスラヴ系王朝であることを示す、「王冠を戴く双頭の鷲」が表現されています。
 ペータル2世の時代に発行された銀貨は打刻が非常に浅く、全体的にデザインが薄い印象があります。また、同時期に発行されていたもう一種の銀貨、50ディナーラ銀貨とは肖像が逆向きになっているのも特徴です。

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 ペータル2世はわずか11歳で即位したため、実際の政治は摂政に一任されていました。1941年にナチス・ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻すると、首都ベオグラードを脱出してイギリスへ亡命し、ロンドンで亡命ユーゴスラビア王国政府を樹立します。しかし1945年にユーゴスラビア共産党が王政の廃止を宣言すると、イギリスをはじめ各国もこれを承認し、事実上廃位されました。

 その後ペータルはアメリカへ移住し、二度と祖国の土を踏むことはありませんでした。1970年に亡くなった最後のユーゴスラビア王の遺体が、セルビアにある王家の霊廟に移されたのは2013年のことです。


 

価格:3,300円(税込)