
商品番号:289815
- 発行国:
- ササン朝ペルシア
- 造幣都市:
- クテシフォン
- 発行年:
- AD260-AD272
- 額 面:
- ドラクマ
- 金 性:
- AR(Silver)
- 表図柄:
- シャープール1世
- 裏図柄:
- 拝火祭壇
- サイズ:
- 28mm
- 重 量:
- 4.18g
- 資 料:
- Nelson741
- 状 態:
- VF toned, few scratched
シャープール1世(在位:AD240-AD272)は東のクシャン朝インド、西のローマ帝国と戦って勢力を拡大させ、ササン朝ペルシアの最盛期を築きました。また、コインに「イラン及び非イランの諸王の王」という称号を初めて刻み、以降のササン朝における伝統となりました。
アルメニアやメソポタミア、クシャン朝を勢力下に置き、ローマ皇帝ゴルディアヌス3世やフィリップス・アラブスを戦場で退けました。特に260年のエデッサの戦いにおいて、皇帝ウァレリアヌスを捕虜にしたことは広く知られています。
当時、ローマ帝国の東方国境を脅かしていたササン朝ペルシア軍に対応するため、皇帝ウァレリアヌスはローマ軍を率いて東方へ遠征します。しかしシャープール1世の軍勢に圧され続けた末、エデッサ市内に追い込まれて包囲されてしまいます。
シャープール1世はウァレリアヌス帝との直接会見を要求し、交渉による事態の打開をほのめかしました。実際にはペルシア側の罠であり、少数の従者だけを引き連れて現われたウァレリアヌス帝はそのまま捕えられてしまいました。
ペルシア軍の勝利に終わった戦いの後、ウァレリアヌス帝はローマへ帰されることなく、そのままぺルシアへ連行されたと伝えられています。その後の処遇は定かではなく、様々な憶測が当時から飛び交っていました。最も有名なものではウァレリアヌスはシャープールの奴隷にされ、王が馬に乗る時には踏み台として使ったという伝承や、死後は剥製にされ、戦勝記念として神殿に奉納された、とも云われています。
ナグジェ・ロムスタ遺跡のレリーフ
実際、囚われたウァレリアヌスがどのような末路を辿ったのかは判然としていませんが、ローマ史では帝国史上最も屈辱的な事件として、ペルシア側では大王シャープールの偉大な勝利として記録されることになりました。
この事件はローマ帝国の衰亡を象徴するものとして、日本でも高校世界史などで取り上げられています。イラン南部に現存するササン朝時代の岩窟遺跡ナグシェ・ロスタムには、ウァレリアヌス帝を捕えるシャープール1世の騎馬像が彫刻されています。