紀元前3世紀の後半、アンティゴノス朝時代の古代マケドニア王国で発行された、大型のテトラドラクマ銀貨。
　このコインは、アンティゴノス3世ドーソン王(在位:BC227年～BC221年)の治世下に発行されました。当時のマケドニア王国にとって経済、軍事の両面で非常に重要な港湾都市であった、アンフィポリスで造られたものと推定されます。

　表面には、海神ポセイドンの美しく、威厳に溢れた横顔肖像が打ち出されています。頭部には、海洋を支配する大神であることを示すように海草の冠を戴いています。
　豊かな髭と長く力強い長髪、頭部に冠したリースなどは、最高神ゼウスを彷彿とさせます。ポセイドンは地上と海を支配する力を持った強大な神であり、天空と神々の王 ゼウスの兄として知られます。

　神話によれば、ポセイドンは海の美女神アンフィトリテを妻とし、共にヒッポカンポス(シーホースとも呼ばれる半馬半魚の幻獣)の牽く戦車に乗って海洋を駆け巡るとされています。
　海の王たるポセイドンは三叉槍「トリアイナ」を武器として用い、嵐や地震を引き起こす激しい神として人々から畏れられたのです。ポセイドンとはすなわち、古代ギリシャ世界に生きた人々にとって「自然の猛威」そのものであり、人間の力では到底太刀打ちできない、荒ぶる自然の力を象徴していました。

　同時に、ポセイドンは自然の猛威から人々を守護する力も持っていると捉えられていました。オリュムポス十二神にも数えられるほど古代ギリシャ人の関心は高く、特に海洋交易や戦場に身をさらすことの多かった当時の人々にとって、非常に強力な守護神でもあったのです。ポセイドンを祀る神殿は地中海沿岸の多くの都市に建立され、現代でも数多くの神殿跡が遺跡として保存されています。
　このコインは地中海各地の船が出入りするアンフィポリスで造られたと考えられており、単なる経済活動上の貨幣という以上に、海に携わる人々と港湾都市アンフィポリスの安全と繁栄を願う意味が込められていると推察されます。

　裏面には、古代ガレー船の舳先に座る光明の美男神 アポロが表現されています。
　裸のアポロ神は、しなやかな肢体で船に寄りかかり、脚を交差させた姿で刻まれています。アポロ神は芸術的才能、音楽、牧畜を守護する神であると共に、弓の名手としても知られました。右手には弓が握られており、その特性が表されています。細かく観察すれば、アポロ神の外見的特徴である「カールさせた長い後ろ髪」までしっかりと刻まれており、当時の原型彫刻師のこだわりが垣間見えます。

　アポロ神が腰掛けるガレー船の船体横部分には、陰刻部分に古代ギリシャ文字による「BAΣIΛEΩΣ」の銘、下部の陽刻部分に「ANTIΓONOY」の銘が刻まれており、併せて発行者を示す「王たるアンティゴノス」を表しています。
　このテトラドラクマ銀貨は古代ギリシャコインの名品の一つに数えられ、後世には近現代ギリシャの通貨にもそのデザインが度々用いられました。近現代を生きる人々の感性にも合致した、芸術的にも素晴らしい作品であることを示しています。

　「ポセイドン/アポロ」のテトラドラクマ銀貨は表面が甘く(薄く)打ち出されたものが多く見られますが、今回ご紹介するコインのように力強く、そして明確に打ち出されたものは珍しいと云えます。おそらく、まだ原型があまり磨耗していない、比較的早い段階で打ち出されたものと考えられます。